全くブログを更新しないまま、2年以上が経ってしまいました。
この2年、ダンスをサボっていた訳でも無く、レッスンやワークショップ、イベントをやったり、海外に行ったりいろいろ活動をしていました。
ですが、それよりも移住した地での暮らしに必死?で、気が付いたら2年以上・・・・
ついでにカウントすると、私のダンス生活は23年余り経過・・・
ベリーダンスも私が始めた当初と比べるとものすごく様変わりしてきました。
生徒さんも歴が長くなってきたので、何となく余裕が見受けられる。
●Khan el-Khalili @Cairo
長年続けている講師って余裕でいつでも何でもこなせると思ったらそんな事は無く、何年やっても準備の時間やメンテナンスしたりする時間は生徒さん達と同じくらい必要。
特に私は人よりも時間がかかる方だったり。足りない部分は睡眠時間など自分の時間を削っている(ほとんどの講師がそうだと思うけど)。
それでもなぜこんなに長い年月続けているかと言うと、まだ観て感動できるダンサーがいて、近づきたいと思う目標があるから。
23年経った今でも、表現しながら踊るのは難しいけど、学びたい気持ちはまだまだ変わっていない。
何となく、生徒さん達の時代の流れを見て、私は化石か?!と感じたりするのだけど、、、
立派なステージで踊りたいとか、賞を取りたいとか、大勢の生徒を持ちたいとか、そこには私の目標は無い。
●Mojgan Azarmi
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踊りに限らず、物事の上達は自分とどう向き合えるかというところが大きいと思うので、それが出来ていなければ実は何も成長できていないのだと思う。
自分との対峙で、動ける人はもっと上達するはずだし、そうでない人は別な部分が伸びて来るはず。
実際に成長している人は、時間の使い方や見ているところが明確に違う。
何にせよ、自分を知るというところがスタート、生涯勉強という気持ちで日々踊っている生徒さん達にも頑張ってもらいたいと思う。
「Tarab」
元々のアラビア語の語源طربは”喜びをもって何かを行う”という意味。
時に演奏や歌を作り上げるときにも使われていた意味でもある。
そもそもアラブでは音楽や詩に親しみ、詩的な表現に長ける者は尊敬されるような、そんな文化がある。
ムワシャハットが歌ありきなのは、まず詩を重要なものとする文化があったからだ。
70年代や80年代の様々な音楽を聴いていると、歌が主体の、歌い手が主役であるスケールの大きな音楽という事に気が付く。
やっとダンサーが登場して観客が沸くステージのごとく、長い前奏の後に歌手が登場して歓喜する観客。
歌手の技量は、声の質や伸び、強さ、技工的なセンス、繊細な表現で決まる。
歌い手は自らの詩に全てを注ぎ、聴衆はその歌声に魂を震わせる。
タラブというのはその状態。
ダンサーに対して、タラブというのを使い始めたのがいつ頃からか定かでは無いが、ベリーダンスに対してのタラブというのは、タラブをもたらす歌手をいつからかダンサーと置き換えて使われるようになったのが始まりだと思われる。
間違えやすいが、発信する方が一方的に陶酔しているだけではタラブとはならない。
受け手が感動に包まれるような状態になってこそのタラブなので、テクニックだけでも、気持ちだけでも、美しさだけでも用をなさない。
でも、感動に包まれるようなベリーダンスってどんな?
やればやる程、難しい課題ばかりの中東の踊りと文学的なアラビア語に2016年も翻弄されますね。。。
早いとこ、辞書を引っ越し荷物から発掘しなくては。。。
画像はwebより拝借した abdel halim hafez