「Tarab」
元々のアラビア語の語源طربは”喜びをもって何かを行う”という意味。
時に演奏や歌を作り上げるときにも使われていた意味でもある。
そもそもアラブでは音楽や詩に親しみ、詩的な表現に長ける者は尊敬されるような、そんな文化がある。
ムワシャハットが歌ありきなのは、まず詩を重要なものとする文化があったからだ。
70年代や80年代の様々な音楽を聴いていると、歌が主体の、歌い手が主役であるスケールの大きな音楽という事に気が付く。
やっとダンサーが登場して観客が沸くステージのごとく、長い前奏の後に歌手が登場して歓喜する観客。
歌手の技量は、声の質や伸び、強さ、技工的なセンス、繊細な表現で決まる。
歌い手は自らの詩に全てを注ぎ、聴衆はその歌声に魂を震わせる。
タラブというのはその状態。
ダンサーに対して、タラブというのを使い始めたのがいつ頃からか定かでは無いが、ベリーダンスに対してのタラブというのは、タラブをもたらす歌手をいつからかダンサーと置き換えて使われるようになったのが始まりだと思われる。
間違えやすいが、発信する方が一方的に陶酔しているだけではタラブとはならない。
受け手が感動に包まれるような状態になってこそのタラブなので、テクニックだけでも、気持ちだけでも、美しさだけでも用をなさない。
でも、感動に包まれるようなベリーダンスってどんな?
やればやる程、難しい課題ばかりの中東の踊りと文学的なアラビア語に2016年も翻弄されますね。。。
早いとこ、辞書を引っ越し荷物から発掘しなくては。。。
画像はwebより拝借した abdel halim hafez